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用語

ここではレナードの教えの鍵となる幾つかの用語の意味を簡単に紹介します。このサイトに掲載されている教えを感受するサポートとして、またオンラインの集いに参加する準備として活用してください。レナード曰く「わたしは目覚めの実体験を重んじ、目覚めた超越した意識から語ります。わたしが以下の表現を使うときには、一般的に使われている意味とは異なることがあります。これらの言葉がもたらす意味合いをハートに抱いてください。それがあなたの内なる静寂から生じる叡智や啓示に繋がり、あなたを目覚めへと導くことを願っています。」

 

今この瞬間の意識(プレゼンス):

今この瞬間に在る意識の状態。今この瞬間に在るとき、思考は静まり、時間は存在しません。今この瞬間は真実への、ワンネスへの、「大いなる存在」への入り口です。 今この瞬間にあなたと共に在るものに自分の意識をもたらすことで、あなたは思考の世界(マインド)から出て今この瞬間に在るようになります。これが今この瞬間の意識(プレゼンス)です。

 

思考の世界(マインド):

思考の世界(マインド)は考えることによっていつでも入ることができる意識の状態です。思考の世界(マインド)は概念、観念、信念、意見で構成され、その内容は常に思い出の過去と想像の未来から成り立っています。あなたが思考の世界(マインド)にいるとき、唯一いないところが「今、ここ」です。思考の世界にいるあなたは自分も他のあらゆる存在も個別に存在し、分離しているという感覚に陥り、今の瞬間の真実(ワンネス)から引き離されています。マインドは今の瞬間にしか存在しない現実から離れた幻想の世界です。そしてそこにはあなたがこれまでに体験した全ての恐れと制約的な信念と抑圧された感情、また子供の時に満たされなかった要望が含まれています。その為マインドにいる限りあなたの現実感は歪められ、あなたの全ての選択、決断、思考、行為に影響を与え続けるのです。

 

エゴ(自我):

ここでのエゴ(自我)の定義は精神科学で一般的に使われている自我・エゴとは異なります。エゴ (自我)は意識の一部であり、思考から構成されています。固定観念に満ちているほど、エゴ(自我)は強固になります。エゴ(自我)は過去の体験を基にして浮かぶ考えの数々から成り立っていますが、それ自体は「今のあなた」であると主張します。エゴ(自我)は当初あなたの友達であり、プロテクターとして機能していましたが、それが乗じて次第にあなたを支配するようになりました。そしてあなたを過去と未来のマインドの世界に留め、今の瞬間から引き離された状態に留めます。あなたがエゴ(自我)と正しい関係を持ち、エゴ(自我)に振り回される代わりに、その主人(マスター)になることは目覚めの過程には欠かせません。

 

「永遠」の次元:

今この瞬間の意識(プレゼンス)よりも更に深い意識の次元。あなたがより深く今この瞬間に在るようになるにつれて、あなたは「永遠」の次元へと開いていきます。この瞬間の驚くべき豊かさに目覚め、この瞬間のあるがままの現状に対して最も深い愛と寛容と感謝を感じるとき、あなたに「永遠」の次元が開花します。

 

ワンネス:

「ひとつ」であるという存在の本来の状態を反映する意識の領域。個別に存在しているという分裂の幻想から目覚めるとき、わたしたちは全存在と「ひとつ」であり、自分と「大いなる存在」が「ひとつ」であることを実体験します。唯一今この瞬間の意識(プレゼンス)に深まることにより、ワンネスの扉がわたしたちの内から開くのです。

 

個別に存在しているという感覚:

思考の世界(マインド)に在ればあるほど、わたしたちは今この瞬間を通して明らかにされる、生の真実と現実から自分が引き離されているように感じます。潜在意識のレベルで、わたしたちは生の真実と離れ、個別に存在しているという感覚に囚われています。また生の根源から乖離し、「大いなる存在」から離反していると感じています。そしてこの分離と孤立の感覚をあらゆる手段を使って避けようと躍起になっているのです。この分列と孤立の幻想から目覚めてワンネスへと帰還することこそが、わたしたちの生の目的です。

 

二元性:

時間の世界では全ての体験は二元性の中で展開しています。それは生と死、ワンネスと分裂、創造と破壊を含みます。わたしたちは二元性の片方の側面を体験することなしには、何も理解することはできません。暑いを知るには寒いを、長いを知るには短いを、昼間を知るには夜を、容認を知るには拒絶を知ることが必要です。お互いがそれぞれを定義しているからです。目覚めの最初のステップはエゴ(自我)の領域において、二元性の世界に均衡をもたらすことです。わたしたちは良いと思うことへの執着と悪いと思うことの拒絶や排除、つまりジャッジメントに気づきをもたらすことで、 二元性に均衡を保てるようになります。

 

ジャッジメント(強く決めつけ反すること):

自分や他の人や物事をダメだ、至らない、嫌だと決めつけ、その存在を強く非難したり拒絶することがジャッジメントです。ジャッジメントのエネルギーは容認のエネルギーとは正反対です。それは現状をそのまま 「受け入れる」ことを否定し拒絶するものです。この意味で、自分や周りを直そうとしたり変えようとするのは、現状を至らないと決めつけるジャッジメントの反映です。ジャッジメントはあるがままの「今」に反することであり、わたしたちを即座に今この瞬間の意識から引き離します。このためそれを真に受けることなく否定もしないで、受け入れることで、ジャッジメントと正しい関係を持つことが、今この瞬間の意識(プレゼンス)に定着して真に目覚めるための鍵となります。

インナー・チャイルド:

あなたが思考の世界(マインド)に在ると、自分という感覚は過去の記憶と体験に基づいて築かれ、幼児としてのあなたが未だに存在しています。そして非常に現実的な意味でその子があなたの時間の世界での人生の基盤になっているのです。これがインナー・チャイルドです。この意識の次元には全ての恐れと制約的な信念と抑圧された感情、また子供の時に満たされなかったあらゆる要望が含まれています。その為にわたしたちの選択、決断、思考、行為の多くはこのインナー・チャイルドに司られているのです。インナー・チャイルドを癒すには、まずその子のストーリーから出てこなければなりません。それは真に今この瞬間に在ることで初めて可能になるのです。あなたが今この瞬間に在るなら、その子は穏やかにあなたの中に融合され、愛、平安、容認と慈しみに安らいでいきます。

 

判断:

ここで意味するジャッジメントは判断とは異なります。ジャッジメントは現状を「受け入れない」ことへの固執と拒絶のエネルギーです。現状への対応として単に良し悪しの判断をする場合には、固執や拒絶はありません。つまりジャッジメントのエネルギーは存在していません。「判断」することは自由意志を持つわたしたちの権利です。ジャッジメントを持たずに物事を明確に判断し、自分の選択に責任を持って生きることは、目覚めた人生を送る上で非常に大切です。

 

「大いなるわたしです  I AM 」:

「大いなるわたしです  I AM 」は真のプレゼンス(今この瞬間の意識)に在るあなたです。あなたが深淵な今この瞬間の意識(プレゼンス)に安らぐとき、深い次元の「無限で永遠の静寂」があなたの真髄から浮上してきます。そのときに「誰が今この瞬間に在るか?」と尋ねるなら、唯一の答えは「大いなるわたしです  I AM 」。唯一この瞬間の次元、今この瞬間の意識 (プレゼンス)に在るあなたが「大いなるわたし」に他なりません。それは「永遠の静寂」に他ならないあなたが発する真実の宣言です。そこには思考の世界、つまり概念や過去からの知識が全く介入してません。真に今この瞬間に在るなら、あなたは目覚めた存在です。「大いなる わたしです」は目覚めたあなたからの、そしてワンネスからの宣言です。更に深淵な今この瞬間の意識(プレゼンス)が開花するとき、在るのは「純粋意識」のみ。当初は違和感を感じる表現かもしれません。腑に落ちないときはわたしの言うことを鵜呑みにしたり、無理に解ろうとしないでください。何よりも思考の世界から出て今この瞬間に安らぎ、自分自身の実体験を重んじてください。あなたが今この瞬間に深く安らぐにつれて、「大いなるわたしです」があなたの内に開花します。

 

大いなる存在(GOD):

「大いなる存在」は今に在るあらゆる存在の真髄に宿る「静寂なプレゼンス」です。それは今この瞬間を通して明らかになる啓示に他なりません。あらゆる信念は実体験を妨げます。「大いなる存在」は現実です。「今、ここ」に存在してい ます。逆にわたしたちの方こそ「今、ここ」にいないのです。より深いレベルの目覚めた今この瞬間の意識(プレゼンス)においては、あなたは森羅万象に宿る深淵な「大いなる存在」の臨在を体験し始めるでしょう。まさにこれこそがわたしが「大いなる存在」または「神」と呼ぶものです。あらゆる存在が生じる根源が「大いなる存在」です。 森羅万象は「大いなる存在」から生じ、「大いなる存在」へと帰還していきます。「大いなる存在」は純粋意識。それは「唯一の存在」の意識。「永遠なるプレゼンス」。わたしが「大いなる存在」や「神」を語るとき、宗教は全く関係ありません。「神」を信仰することは「神」を実際に感知し、実体験として直接知ることを妨げます。

 

空:

最も深いレベルの意識の領域。「空」は実体がない形も内容も超えた純粋意識に他なりません。「空」は知覚することはできませんが、それ自体として在ることが可能です。目覚めの過程の中で、わたしたちはいずれは無意識の内にこれまで避けていた孤立と孤独の感覚、そして内に無限に広がる虚無感に直面するときが来ます。「無」を受け入れて、それに全てを委ねるとき、わたしたちは「無」で満たされます。それがわたしたちを「空」へと導くのです。「空」として在るとき、わたしたちは「大いなる存在」の臨在を森羅万象に見るのです。

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