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​I AM、大いなる私

『純粋意識である I AM』

純粋意識である「I AM」は「大いなる存在の心」と「大いなる存在の身体」*の架け橋です。それは「聖なる父」と「聖なる母」の架け橋です。それは上と下の、内と外の、初めと終わりの架け橋です。それは天国と地上の架け橋です。それはキリストの意識(「神」とワンネスにある意識)です。今、あなたに宿る「I AM」に目覚めてください。あなたが求めているものは既に「ここ」に在ります。 ただ「今ここ」に安らいでください。(*「大いなる存在の心」は「無・空」に、「大いなる存在の身体」は森羅万象を指します。)

『個人を超越したわたしと個人のわたし』

最も深いあなたの真髄において、あなたは永遠なる実存として存在しています。このレベルのあなたは時間を超越し、個別に存在している個人という感覚の全てを超えています。あなたは森羅万象と「ひとつ」として存在しています。この瞬間だけに在り、この瞬間以外には存在していません。過去も未来も存在しません。あなたのマインドは静寂です。あなたはここに在るものと完全に今を共にしています。今の瞬間に完全に浸っています。これは非個人的な次元です。しかしこの非個人的な次元に帰属し、あなたのユニークな個性を反映する個人的な次元が在ります。非個人的な次元のあなたはあたかも大海のようなものです。そして個人的な次元のあなたは波です。波は大海の一つの表現で在り、それぞれがユニークで個別です。 個人のレベルのあなたは静寂とプレゼンスに根付いている一方で、時間の世界への参加が可能です。しかし、そこに自分を見失うことはありません。この瞬間だけが生の真実であり、それぞれの瞬間が絶え間なく生まれ変わっていくことが判っています。それぞれの瞬間が完全に体験されては解き放たれます。体験が留まることがなく、過去が自分の中に溜まらないので、あなたは今の瞬間に在り続けることができます。あなたには記憶があり、未来を計画することができますが、そこにさ迷うことはありません。時間の世界で活動していても、あなたは根本的に今の瞬間にいます。この個人的なレベルのあなたは永遠なるプレゼンスのあらゆる資質を表現します。それには静寂、平安、愛、受容、慈しみ、叡智、覚醒とパワーが含まれます。あなたはユニークな個人でありながら、ワンネスの一つの表現に他なりません。

『大いなるわたしです』

自分の体験と同化していては、目覚めた意識を維持することはできません。それには悟りのピーク体験も含まれます。

もし平安を体験しているなら、「誰が平安を体験しているのか?」と問わなければなりません。

答えは「大いなるわたしです」

自分が悟ったと宣言するなら、「誰が悟ったのか?」と問わなければなりません。

答えは「大いなるわたしです」

この質問をする毎に、あなたは全ての体験を超越した深いレベルのプレゼンスへと導かれるでしょう。

あなたは体験を超越し、純粋な「大いなるわたし」である「俯瞰者」へと導かれます。

これこそが純粋意識、覚醒したプレゼンスの次元に他なりません。

静寂、無限、永遠なる静けさ、無。

「誰が無を体験しているのか?」

「大いなるわたしです。」

「誰が大いなるわたしですか?」

「大いなるわたしです。」

『「大いなる存在」の真髄』

あなたが目覚めるにつれ、個別に存在していることが終焉します。あなたはたとえ時間の世界に参加していても、自分が今の瞬間の真実と現実に深く定着しているのを見出すでしょう。目覚めの過程が深まるにつれ、魂のより高い次元が肉体に入り込んできます。あなたの精霊の真髄があなたの人生に流れ込むようになります。あなたは「大いなる存在の心」を限りなく眩い光に満ちた広大な静寂として体験します。そして森羅万象が「ひとつの真の存在」の息づくプレゼンスとして煌々と輝いているのを察知し、それを「大いなる存在の身体」として体験します。こうしてあなたは「大いなる存在」の真髄を知ります。それはまさに「究極の愛」に他なりません。

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