他者に自分を見失う
自由の対価は自由を認めること
他者とのしがらみから自分を解放したいなら、わたしはその人にも完全な自由を認めなければならないのです。わたしは次の宣言をします。
「これはあなたがわたしに賛成するか反対するかは、あなたの自由であることを意味します。わたしを好きか嫌いかは、あなたの自由です。わたしを愛するか憎むかは、あなたの自由です。わたしを受け入れるか拒むかは、あなたの自由です。
もしあなたがわたしをダメだと決めつけたり非難するなら、わたしはあなたにそうする自由を許可します。実際にそれはわたしには関係のないことです。ジャッジメントの波動はあなたの中で浮かんでいて、それを生きるのはまさにあなたです。もしあなたが非難するなら、それはあなた自身が今だに非難されていると感じているということです。あなたは今でもジャッジメントの波動に囚われているのですから、むしろわたしはあなたに慈しみを感じるでしょう。
わたしが自由でありたいなら、わたしは自分の期待や要望や恐れであなたを侵害してはいけないのです。たとえどんな形にせよ、わたしはあなたをコントロールしたり操作してはならないのです。わたしはあなたを決めつけたり非難してはならないのです。
自分を更に解放するために、わたしは自分がどのようにしてあなたに対して責任を取ろうとするかに意識的にならねばなりません。またはどのようにしてわたし自身の責任をあなたが取ることを期待してしまうかを自覚しなければなりません。わたしたちの多くが責任を放棄し自分を見失っています。」
自分が他の人に巻き込まれてしまうパターンの全てを自覚し、容認し、告白することで、これらのパターンは次第に消えていくでしょう。この過程の結果として、自由が到来するのです。お互いに巻き込まれることなく、わたしたちは最も深いレベルの愛と聖なる分かち合いを共にすることができます。皮肉なことに、ワンネスを悟るには、まずはお互いが健全な個別の存在として在ることが必須です。